近況報告(2023年8月)

※すみません、先に言っておくとそんなに愉快な話でもないし特に面白くもなく、どちらかというと個人の気持ちの整理のために書いているので、よほど興味がない限りは読まない方がよいかもです。

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長くなってしまうので端的に言ってしまうと、2023年8月26日(土)にはやかわはADHD(+ASDの可能性)の診断を受けました。

 

特に私に強く出ているのが、対話での注意欠陥(相手がしゃべり終わったことが分かるターン制の会話以外は本当にできない。会議などの話が一切頭に入らない)、多動(未だに立ち歩いてしまうし、常にどこかを動かしていないと気持ちが悪い)、言葉の真意が捉えられない(どれだけ冗談っぽく言っている感じでも言葉を正面から受け止めてしまう)、パニック(これは恐らくASDから。自分の敷いた道以外の予想外のところから来られると簡単にパニックになる。質疑応答ができない)あたりです。後普通に片付けもできない。割と一般的な症状がほとんどでています。

こうやって羅列してしまえば、まあ確かに診断が出るのも頷けるのですが、じゃあなぜここまでの状態になっているのに、小さいころとかではなく今さらの、この26歳という立派な成人男性になってようやく診断が下りたのか、その辺りを不思議に思う人も多いと思います。そのあたりのことについて、恐らくこれから人生の節目で、上司とか、それこそ可能性があるかは分かりませんが家族になるような人などに、何度もしゃべることにはなると思うので、その辺りの気持ちの整理のためにも一度ここに書いておきたいと思います。

 

思えば、昔から予兆といいますか、そりゃそうだよね、といった出来事はたくさんありました。

小学校の頃から、学校のプリントを1年も親に渡さずランドセルにしまい続けたり、筆箱がほとんど壊れて、普通にしまっても鉛筆がポロポロ落ちてくるような造態になってもテープでグルグル巻きにしてでも使い続ける強いこだわりがあったり、人との対話が上手くいかず話ができないと虐められたりと……

 

ちょっと書いてて悲しくなってきちゃった。まあいいです、続けましょう。恐らく、普通だとこの辺りで教師か親かのどっちかがこの一連の行動を怪しんで診療……となるのが黄金パターンなんでしょうけれども、私はそうはなりませんでした。それには大きな理由が2つあったように思えます。1つは私が人の擬態が上手かったことです。

先ほどのエピソードを見てたらそんなわけがないだろ、と思う人もいるかもしれません。確かに小学校に入った直後の自分はおかしかったのではないかと思います。ただ、自分で自分のことを言うのもなんですが、比較的知能が高かったので(例えば、その後中学受験にてその地方で一番の進学校に合格など。こういうのもこういう診断を受けている人の黄金パターンなのかもしれませんね。)段々周りの普通の人を見て、「普通の人の行い」ができるようになりました。衝動的に普通の人とは違う行動をしたくなる自分を気を張って抑えて、周りに合わせた行動を取るようになっていきました。いわゆる人間のマニュアル化です。余談ですけど、こういうマニュアルというか型にはめる作業が得意なのもASDの特徴の一つになりうるらしいですね。

 

これをすることによって、段々人の道から外れるようなことは減ってきました。中学生を迎えるころにはどういう人を参考にすればいいのかも分かってくるようになりましたから、人が見ているところではそれなりに完璧に振舞えるようになり、むしろ自分で言うのもこれまたなんですが、例えば同級生の親とかからは「はやかわくんはきちんとしている」と評判は良かったかと記憶しています。恐らくはやかわにリアルで会ったことがある人なら分かると思うんですけれども、まあそんなに変な人だな~みたいなところはなかったんじゃないかと思います。一方でその分自分の中の衝動性を抑えることに必死だったこともあり、この頃からでしょうか、人目がないところでは疲弊で何もしたくない、ぐったりとするようなことも増えてきていたように記憶しています。

ちなみにこれは余談にみせかけて後で効いてくる話なのですが、この頃から授業は周りの人を参考にして「授業を聞いているフリ」をして、それが原因で疲れて家ではぐったりで全く勉強ができなくなったので(疲れていなくても机の前でじっとできないのでどちらにせよ無理ではありましたが)、以降成績はガタ落ちしていきます。

 

まあこんな感じで擬態が上手かったこともあり、「たまに変なところはあるけれどもイイヤツ」みたいな感じでしばらくの間自分は過ごしていました。むしろ進学校中高一貫男子校に行ったことがある人なら分かると思いますが、私みたいな人しかいないので、浮くことはなく、平穏に過ごすことができていたのかと思います。これが1つ目の理由です。

 

2つ目。これは正直まだ語れない部分も多いので若干伏せさせてはいただきますが、周辺の環境が大きかったです。

本当に若干ぼかさせていただきますね、はやかわは男3人兄弟の真ん中なのですが、上の兄に若干問題があり、そのことが原因で周囲の人から「はやかわくん””は””マトモな子だよね」「はやかわくん””は””違って……」みたいなことをしょっちゅう言われていました。それは直接口に出すことはありませんでしたが、周囲の人のみならず、実の親もやはりそういう思いを持っていたのでしょう、節々にそういうニュアンスのあることを言われたりしていました。

ここで思い出してほしいのが、私の特徴に「言葉の真意が捉えられず、正面から言葉を受け止めてしまう」というものがあることと、1つ目にあった人間の擬態が上手いということです。この2つが上手いこと悪く作用して、私はどんどん「自分は普通の人間なんだ」と自己催眠をかけていくようになりました。

普通の人間、これが難しいんですよね。人間って概ね良いか悪いかで測られることが多いので。どちらかと言えば良い方にいれば普通とは言われやすいですけれども。そういう何となくの「普通」の輪郭を掴んだ私は過剰に「いい人」でいようとします。記憶が間違っていれば申し訳ないですが、私は兄弟・友人含め喧嘩した記憶も一切ないですし、反抗期も1日もなかったように記憶しています。たまに人の気持ちが分からずによく分からない行動をしては怒られることこそあれ、基本的には「いい人」であったのではないかと思います。

 

そうして高校を卒業するころには、一丁前の「ガワだけまとも人間」が完成しました。しかし、言ってもガワだけです。しかもこの頃、はやかわはガワを身に着けることができるようになったのと引き換えに、異常なくらいの自己肯定感の低さを、その代償として身に着けるようになりました。

これは言葉の真意を捉えられないことに由来するのですが、はやかわはどれだけ冗談っぽく言っていても(例えば「バカだな~笑」みたいなやつ)文字上では悪口を言われると本気でショックを受けます。ダメだな、と言われれば本気で「自分はダメなんだ……これじゃ普通じゃない」といった感じで本気でヘコみます。しかし自分は普通の、良い人間を目指していますから、そういう言葉を浴びると理想と現実の自分に大きな乖離が発生するわけです。そうするとそれはそれで「普通の人間である」という目標から逸脱するわけですから、自分はなんてダメなんだ……これじゃ普通じゃないという負のスパイラルに入ります。

 

しかし、結局のところ注意欠陥なところがありますから、どうしてもミスは発生するもので、その度に発生する乖離を目の当たりにしては……自分は周りに劣る本当にダメな人間ですという気持ちを強くしていきます。

特に勉強面ではこの劣等感を強く感じており、不幸にも(一般的には幸運なんでしょうけど)はやかわが通っていた中高一貫男子校は進学校で、かつはやかわの代は成績がよかったので(正確には把握していないが結局全体の半分くらいが東大・京大・医学部に進学した)はやかわは不登校の人間を除けば下から片手で数えられるくらいの成績をずっと飛行していました。周りができることができない、教師には(冗談交じりではあるが、自分の中では本気で)バカにされる、その苦しみで、6年かけてはやかわの自己肯定感、自分を好きでいる気持ちは地の底まで落ちていきました。これは完全に余談ですが、そんな自分でもセンター試験は現役で7割超えていたので、今冷静に、一般的に考えてみれば別に自己肯定感を低くする必要なんて多分全くなかったんでしょうけどね。もうその当時は勉強の何もかもが怖かった記憶があります。

 

その後浪人を経て、一浪時の国公立2次試験で受験票を忘れてパニックになったり、私大の受験で大問丸々1つをすっ飛ばしたりと、そういう人受験あるあるを一通り経験した自分も何とか大学生に。最初は環境に馴染めず不登校になったりもしていましたが、言い方は悪いですが先ほどのそういう人受験あるあるによって本命の大学は落ちまくっていますから、自分の本来の能力であれば全く問題のない大学に入学していたので、しばらく心が安定した状態で毎日を過ごすことができました。

 

しかしまた精神が不安定になる時期がやってきます。大学院生時代です。大学院生(場合によっては大学4年生でも分かるかも)、特に理系に進んだ人だと分かってくれる人もいるかと思うんですが、共同研究なるものが存在するのです。企業の人と共同で実験。特にはやかわがいた研究室の教授はその筋では有名な人でしたから、大学院生時代は修論とは全く関係のない共同研究を何本も抱えていました。更にちょうど大学院に進学したころにコロナが始まりまして、オンライン授業なるものも始まり、それの対応に追われる毎日が始まりました。

つまり、今までの学生の「勉強」とは異なる、しっかりとした「仕事」が身の回りに発生するようになりました。それは、大学までのそれなりに答えのある勉強とは違い、自分で答えを見つけていくものですので、今までの模倣で「正解らしきもの」の道を歩いてきた自分にとっては、本当に想像を絶するくらいしんどいものでした。

 

ただ前述のとおり、私は「できない」ことで普通から外れることが何よりも苦手で怖く感じる訳ですから、それはもう頑張りました。他の仕事をする人を見て、仕事を成功させる普遍的な人の動きを学び、ミスをしてヘコみながらも、普通から外れることだけが怖くて、とにかくがむしゃらに頑張る。本当に酷かったころは週7で15時間ほど研究室にいました。

その結果、教授等にはかなり評価されるようになりました。大学院の専攻賞も取りました。査読だって4本出しました。今でも教授に会うと、「あの2年ははやかわくんがいてくれたから研究室運営が何とかうまくいってたよ」とも言われます。でも、評価されたのは「かなり」なのです。「完全に」ではないのです。どれだけ褒められても、実験の中でほんのちょっとだけミスをしたときに言われた「なにしてるの笑」が自己肯定感が下がり切った、言葉の本意が捉えられない自分にぐっさりと刺さって、全くもって素直に喜べないところか、「この人はダメな自分を励まそうとしてそう言っている、もっと頑張らないと、見捨てられてしまう」という思考に落ち着いてしまうわけです。

 

本当にこの大学院時代からだったと思います、普通から外れるのが怖いという気持ちが進化して「見捨てられないように常に100点を出さないといけない」という極端な思考から逃れられなくなったのは。

 

結局この思考が当然ではありますが、自分の精神を蝕むことになり、この頃から今考えれば分かることなのですが、若干鬱の傾向が出始めます。普通でなくてはいけないというストッパーが何とか自分を支えてはいましたが、一定のラインを越えると、もう歯止めがきかないくらい泣きわめいてしまうようなこともありました。

ここで病院に行けていればいいのですが、またここでも「自分は普通でなくてはいけない」という思考が邪魔をします。ここでもし診断されてしまえば……? 親は……知り合いは……どう思うだろう。見捨てられるだろうか。そうなってしまうと自分の存在価値はいよいよなくなる。そういう思いから結局病院にも行けず、何とか普通に生きようとごまかしごかましやって行って、何とか大学院を卒業しました。恐らく数年前、もう消えてはいますが、初代はやかわのアカウントで数日~1か月更新がないような時期が何度かあったと思いますが、そういう時はだいたいこんな状況に陥っていました。本当に最悪の答え合わせですね。

 

そして就職。環境が大きく変わるのが怖かった私は、大学院の環境の延長線上であると考え、研究職を選択しました。これは正解でもあり間違いでもあって、確かに最初の環境への馴染みはそれなりにうまくいきましたが、結局延長戦でしかないのですから、大学院で抱えていた「見捨てられないように常に100点を出さないといけない」精神がどんどん悪い方向に働いていきます。

社会人なんて学生の何倍も「よき人である」ためのチェックポイントがありますから、もうそれはそれは、時に真面目に、時にピエロになって、ガッチガチに外面を作って、周りの人の100点の信頼を得ていこうとします。本当は対面の1対1の会話しかできないはずなのに。しかもそれすらも本当は億劫でしたくないはずなのに。人に求められるがままに、求められていないのに、こう求められているだろうと思って、社会人を演じていきました。

つい最近私のこの症状を打ち明けた同期に言われましたが、性格を知る前は常に気を張って何かに追われているような表情をしており、時たま鬼気迫る表情をすることすらあったらしく、正直怖かったそうです。そうなるくらいまで、私は自分を追い込んでいきました。

 

でも、結局注意欠陥ですからミスはしますし、それで落ち込みます。自己評価はますます下がっていきます。ただ、外から見ればそれなりに頑張ってはいるので上司からは「本当によく頑張っているね」と言われますが、その言葉すらも本心からではない、この人は私が少しでも大きなミスをしたら本当は見捨てるかもしれないといった疑心暗鬼に陥ります。いや、本当は理解できてはいるはずなんです。自分はできている方だと。こうやって文字で評価されていること自体も思い出して書けてもいますし、実際に人事考課も良かったですし。でも本心のところではそれを素直に喜べないどころか、その昔から少しずつ折り重ねてきた普通ではないことへの恐怖が、100点でないといけないという強迫観念が、本能的に評価への拒否反応を示し、むしろちょっと空いた穴を見つけてはより深いところに潜っていこうとするのです。

 

その結果以前よりも気持ちが落ち込む時間も増え、段々と落ち込む深さも深くなっていきました。特にちょうど1年あたり前でしょうか、突然Twitterアカウントを消した時期があったのですが、そのあたりは精神的に限界が来ていまして、本当に自分がいつどこで爆発して何をしでかすか分からない状態になっていました。今思えばいろんな人に心配をかけていたようで大変申し訳ないのですが、そういう事情があったんだと思っていただけたら幸いです。

 

そして時は移ろい2023年の8月。ここは正直あまりまだ生々しくて語れない部分もあるのですが、とある事情からTwitterアカウントを消したころくらいまで精神をすり減らしたことや、家庭内で発生したとある事情から親の異常性に気づき、物心がついて20年近く、ずっと抱えていた「普通でないといけない」という自己催眠から若干覚め、「弱さを認めてもいいのではないか?」という気持ちにふとなりました。

正直、自分の症状と重ね合わせ、「ADHD 症状」などと調べたこと自体は何度もありました。しかし、強い自己催眠が、自らをそうだと認めることを拒否していました。しかし、どう考えてもそうなのです。会議中の人の話は一言も言語として聞こえてこないし、少なくとも1時間に1回は立ち歩かないと気持ち悪くて仕事が一切できなくなっちゃうし。

 

しかし、弱さを認めてもいいかもしれない。一瞬ではありますがそういう思考になった時、本当に自分でもびっくりするくらい、スムーズに心療内科の予約が取れていました。

 

そして当然と言えば当然ですが、一番最初に書いた診断につながるわけです。

嫌、本当はちょっと嘘をついています。心療内科って予約が取りづらいから診察を待つまでの間に一回限界を迎えて、泣き叫んで暴れてしまいました。

これがその時のツイート。これは本当に表現をぼかして書いています。

本当はこんな感じ。最悪です。

ということで、以上がはやかわが26歳まで診断を受けることができなかったとある事情でした。これからしばらくは投薬治療をすることになるかと思いますが、この投薬を通じて、少しでも症状が緩和、特に言葉を真正面から受け止めてしまう悪癖を緩和して、少しでも自分のことが好きになれるように、自己肯定感を持てるようになっていきたいです。そしてあわよくば、普通に幸せになりたいです。どうかな、まだ分からないな。正直これを書いている今も月曜日が来て仕事が始まるのめちゃくちゃ怖いし。

でも、これをきっかけに少しでも、楽しいと思える時間が、幸せだなあと思える時間が、少しでも、本当に少しでも増えるなら、今回の今までの催眠を解いて行ったこの決断が、間違いじゃないと分かるんだから、そうなってくれたら嬉しいなあと思います。しばらくはそれを糧に、頑張りたいと思います。

本当にここまで長々とすみません。とりあえずはこれをかいつまんで一番信頼している上司に相談してみたいと思います。

これから、頑張るぞ!