※この感想は、2月中旬くらいに超かぐや姫! を見たときに怒りに任せて書いた感想記事を、後日見返して、その内容の苛烈さもありお蔵入りにしていたものです。公開に踏み切ったのは、4月頭に監督のインタビューが掲載されたのですが、作品を見たときにムカついて感想記事に書いた部分を、監督がそもそも結構舐めた感じで向き合ってそうな雰囲気をインタビューの内容から感じ取ったからです。自分の中の消化しきれてない怒りを一応ここに書き留めておきたいと思い、公開しました。
感想(2026年2月中旬執筆 公開にあたり2026年4月一部修正)
最初に自分の総合的な感想を言ってしまうんですけれども、この作品は面白がれる種のようなもの自体はところどころに見えたものの、そもそも作品としての作りが上手くないこともあって、面白くなり切れなかった作品だったと思います。面白くなりそうな雰囲気だけは感じつつ、でも基本的にはずっとつまんねぇな、いつ面白くなるのかな、えっ終わっちゃった……といった感じで、非常に肩透かしをくらった気持ちになる作品でした。
いや、この作品のことを結構手放しで褒めてる人も多い気がするんですけど、そもそもアニメとしての作り方がかなり下手寄りじゃないですか、この作品? 別に脚本が破綻してるとか、そういう訳ではないんですけれども、アニメを面白いものにしようとする気持ちが全くないというか、独自の面白さを引き出せる魅力の欠片のようなものはあったはずなのに、それに全部蓋をする、最も不味く作る調理法で作った料理みたいなアニメだったように思います。凡庸な作品になってしまったことに、本当にもどかしさを感じる、ちょっと勿体ない作品だったように思います。
なんなら、その面白くしようとしない感じに、最近のオタクへの舐めさえ感じる作品だった気もしていますよ自分は。ええんか、オタク? こんな手垢のつきまくった題材で、独自性がなくても、潤沢な予算を使って萌え絵を描いてもらって、「関係性」を見せてもらえれば、それでええんか? 目を覚ませ、僕らのインターネットが題材としてつまらなく描かれているぞ!
まあ、ここまでムカつくのにも理由があって、自分にはアニメ、アニメ映画を面白い、と感じるためにこれがあった方がいいよな、と感じているものがいくつかあるんですけれども、自分が視聴した限りでは、超かぐや姫にはそれらはなかったですし、そしてそれがないことが、作品作りの下手さに直結しているんじゃないか、と感じてしまったからなんですよね。自分から見ると、芯のない腑抜けた作品に見えてしまっているんですね。
それで、自分がアニメを面白くするのにあった方がいいと思うものなんですけれども、2つあります。1つが、多少受け取り側がついていけなくても、受け取り側が理解ができなくても、制作陣がこれがやりたかったという「心」があること。言い換えると、これを表現したいという「尖り」が見られるかどうかという点です。2つ目が、作品に成長譚が含まれる(広い目で見ればほとんどの作品が部分的にでもその要素は含まれていると思いますが)場合、どんな些細なことでもいいから、成長に向けて心が動くきっかけと、それを踏まえた、キャラの中での結論(その結論が、結局元とほとんど変わってなくても良くて、経験を経たなりの結論があれば良い)をきちんと描いてほしいということなんですよね。あとついでに言えば、質の良い萌えがあると更に加点があるといったところでしょうか。
超かぐや姫! に萌えは確かにありました。予算も潤沢でしょうからね、メインで画面の中で動いているキャラ以外も細かく表情管理されていて、どこを切り取っても萌え萌えで、質の高い萌えが確保されていたと思います。ただ、「尖り」と「成長譚の満足な描写」は、この作品にはなかったように思います。いや、正しく言えば「尖り」はなかったんですけど、「成長譚の満足な描写」については、描いていたような気はしますね。ただし、そもそも描き方がヘタクソなのでそれが全然見えなかったんですよね。そして、なぜ成長譚の描き方がヘタクソだったかというと、「成長譚の満足な描写」を描くには「尖り」がないとダメで、それがないと成長譚が薄っぺらく見えてしまう、という因果関係が少なからずあることが原因なんだと思います。
尖り。作品の中で製作陣が魅せたいもの、やりたかったこと。こういったものは、当然作品を魅力的に見せます。多少脚本として強引であったり、荒唐無稽なものであっても、こういったエンディングを描きたい、という気持ちや、このシーンを描くために、このセリフをキャラに言わせるために、ここまで作品、物語を積み上げてきたんだな、というのが見えてくる作品は、素晴らしい作品になりうる可能性が高いです。そういった尖りを見せてくれる作品にこれまでたくさん出会ってきましたが、その尖りは、やはり「熱」があるからなのでしょうが、たいてい視聴者にも伝わることが多いもので、名場面、名セリフという形で、多くの人の心に刻まれていることが多いです。
それを踏まえて超かぐや姫! あの作品のことを思い出すと、個人的には、絵も綺麗だし、破綻もない作品で、予算をかけられただけあって、減点要素は少ない……ものの、名シーンや名場面を思い出そうとすると、何も記憶に残っていない、作品が綺麗なだけの、印象の薄い、言ってしまえば、全ての場面に他の作品にあったような要素、つまるところ既視感が含まれる、継ぎ接いだだけの、概念としてのアニメ、みたいな作品だったように思えてくるんですよね。
では、そういった尖りがなぜあまり見えない作品だったのか、というところに踏み込むと、まず作品としてのテーマの組合せが、そういう尖りが見せづらいものであったというところが原因であったように思います。
テーマとしては「竹取物語」と「インターネット(ライバー活動)」がメインであったように思います。まず、竹取物語については、既存の誰もが知っている昔話ではありますね。ただし、過去の昔話や過去の偉人のような、過去の象徴と言えるものを現代のものと組み合わせる、ざっくり言えば「現代パロディ」のような作品はこれまでにも多数発表されてきていますし、またそういった作品もあくまで過去の作品をそのままなぞるだけではなく、現代と組み合わせることで、化学反応を起こすことが可能となり、既存の作品や歴史とは異なるIFストーリーを紡ぐことができます。
実際そういう作品にも名作は多くありますし、テーマの組み合わせ、というやり方自体は特に悪いテーマ選択ではないように思います。そして実際、今回の超かぐや姫も、既存の物語の範囲内で一度エンドクレジットを挟んでからのかぐや奪還パートが始まるという、分かりやすい改変パートがありますし、そのパートの解決方法も、現代的な技術の流れの中にある解決方法だったので、既存の竹取物語とは全く異なるエンドに仕上がっていました。
では、何が良くなくて尖りが消えてしまったのかというと、その組み合わせの相手にインターネット(ライバー活動)を選んでしまったことといいますか、手垢がつきまくった範囲でしかインターネット(ライバー活動)の話をしていないことで、既視感×既視感の組み合わせになってしまい、何をやっても既視感から逃れられなかったことに尽きるんじゃないかな、と思います。
そしてここから少しだけ、超かぐや姫! 越しに最近のアニメ作品全体に対して発する悪口を言いますね。ライバー活動を含む、インターネットを題材にした作品って、最先端の題材みたいな感じで組み合わせに選ぶ作品がここ最近多いような気がするんですけど、あまりにも考えとして手前すぎるというか、むしろここ最近爆発的に増えている分、普遍的なテーマにすらなってしまっているんですから、取り扱うんだったらもう少し覚悟を持ってほしいと思うんですよね。軽い気持ちで任意のテーマにインターネットを絡ませて、作品を陳腐化させたいのか!? と思ってしまうような作品が多々あるような気がします。実際に超かぐや姫! はその最たる例と言いますか、既存の昔話に、小手先のインターネットをぶつけた結果、どのシーンを見てもどこかで見たことのあるようなカットしかなくて、見事に陳腐化していますよね。
ついでに言いますと、インターネットが主軸にある作品って、インターネットをどう扱っているかと言うと、良い面として「誰とでも繋がれる」「普段の自分では叶えられない夢が叶う」、悪い面として「インターネットの悪意」「電脳世界の異変」くらいないじゃないですか。それしかないというか、そういう側面でしかテーマとして取り扱えないのでしょうけれども。もう少しマニアックな部分を取り扱うというやり方もなくはないんでしょうけど、やっぱりインターネット文化って基本的に出自がアングラ寄りなので、どうしても大きな資本を積んだ作品であればあるほど、描ける範囲のインターネットとなると、普遍的な手前にある小手先のインターネットをテーマとして選択せざるを得ないんでしょうね。
そして一応、少しだけ超かぐや姫! を擁護すると、超かぐや姫! には頑張ってる跡自体は少しは見えたんですよ、なんかネットミームをたくさん散りばめてたじゃないですか。ああいうインターネットをあの規模の資本の作品でやるのは勇気がいることだと思いますよ。とは言いましても、独自性を出すマニア向けのインターネットって、今現在のアニメ界だとあれが限界ですよね。作品で描ける範囲のインターネットって(良くも悪くも)しょうもないので、頑張ってもあそこが限界ですよね。作品にインターネットミームが使われたと、嬉々として作品の字幕付きスクショをTwitterに貼り付けるオタクへのファンサービスが、大衆寄りの大資本インターネットアニメの限界なんじゃないでしょうか。
つまるところ、インターネットって、身近にあって新しめなものであるから、とりあえず手を付けやすそうなテーマで選ばれることも多いんでしょうけど、割と最近出てきたジャンルの割には、もうある程度やれることはやりつくされてしまって、既にレッドオーシャンに突入しているジャンルなんだと思います。
広く当たり判定を取って「インターネット」を取り扱ったと言える作品のうち、近年うまく差別化ができていた作品と言えるものって、ネットスーパー×異世界の、「とんでもスキルで異世界放浪メシ」とかはありますけれども、ここまで細かいところまで突き詰めないと、もうインターネットをテーマにするのって、かなり作品としては危ない橋を渡らせてしまうことになるんだと思います。
そこを個人的にはですけれども、超かぐや姫! は、これまでみんなが渡りきれなかった橋を、何故か大量の予算を引き連れて、特に工夫することもなくまっすぐ渡り切ろうとしてきた、という感じに見えてしまいましたね。
超かぐや姫! のライバー活動的な所がどう描かれていたかと言いますと、やはりこれまでのそういう作品にあったような所からは全く逸脱しておらず、はっきり言ってしまえば、初見なのにすでに何回か視聴したような記憶のある流れが特に序盤~中盤位でずっと続いていました。そこまでライバー活動に造詣がある訳では無い私でも、既に知っていることを説明されている感じがあり、かなり視聴体験としては苦痛でした。全くライバー活動のことを知らない人が、SNSで漏れ聞く範囲で想像してみたライバー配信、みたいなものをわざわざ流さなくても、と思ったのが正直なところです。
……
ここまでが、インターネットという題材を扱うことの難しさと、簡単に手をつけてしまう作品への悪口だとして、この作品のつまらなさを担う、大きな問題点はもうひとつあるんですよね。先ほど申し上げた通り、成長譚の満足な描写。これがこの作品においては、全くもって上手く描けていないというのがこの作品の最大の問題点だと思うのです。ここからこれの悪口を言います。
悪口を言うにあたって、もう少し正確に怒りの内容を申し上げると、アニメのテーマになりうる題材はある程度有限ではあるから、テーマの組み合わせ自体は先ほどあれだけ言っておいて申し訳ないですが、どうしても被りが出てくることは仕方の無いことではると思うんですよ。じゃあ、どこで差別化をつけていくかというと、キャラの成長、掘り下げで差別化をつけていく必要があるんですよね。そこさえあれば、作品として良いものになる可能性は全然あるはずなのに、超かぐや姫! はと言えば、既視感がありすぎてかつ、日本人、なんならこういう映画を見る層にとっては今さら説明の必要がないであろう竹取物語とインターネットというテーマを選んだ上で、全くもって説明を省略せずに丁寧に一から描いて、退屈さを視聴者に植え付けてくるんですよね。そしてその割には、掘り下げられそうな部分、例えば家族との確執も、想像の余地があるのラインをギリギリ外れた、説明の放棄なのでは? といったラインの軽い説明に留めているんですよね。2時間20分もの割と長尺な作品の割に、説明は最小限にしてキャラに感情移入や共感をさせることもなく、とにかく丁寧丁寧に見たことがあるような、つまらない配信者としての普遍的な成長譚だけ描いて作品を終わらせてしまってどうするんだろう、と。
本当になんなんだこれは。YouTubeでたまにオススメ動画に流れてくる「(任意のVtuber)が〇分で分かる動画まとめ」なんか? 映像作品だろ? 分かりきってるテーマを選んだんだから、「人間」で見せてこないとダメだろ? お前が描きたかったライバー「かぐや」は、逆に凡百でしかないVTuberとしての成長譚と凡百なアニメキャラとしての復活譚でしか作り上げられいないんだが、いいんか? 違うだろ? 作品という形で、自身でキャラを作り上げられるんだから、既存のVtuberと違って、自らがこのキャラの成長譚を描けるんだろ? もっと見せてみろや! お前の魂を! 癖を! 尖りを! お前はいくらでも、かぐやにトラブルを、障壁を与えてやれて、成長譚を彩ることができるんだぞ! その成長譚に関わるほの暗い部分を、全部省略しやがって! そんなんじゃあな! 見たことのないVtuberが登録者〇万人をお祝いしてるのと一緒でな! 乗り越えてきた事実を知らないから感動できないんだよ! 最高のフィナーレを迎えるにはな! 最高のフィナーレだな、と視聴者に思わせる必要があって! なんかハッピーエンドになったな、は感動しないんだよ! ……そう思うんですね。
本当にこの作品を作った人は何を考えてるんだろう。つまんないバトルシーンを20分くらい、ほぼほぼカットもなくやる割には、家族との確執が2、3カットくらいとちょこちょこ本人と兄から語られるくらいに収めておいて、クライマックスのシーン(一応この作品の成長譚の核なのかな)、彩葉が進路を自身の考えで決めるというシーンで、ちょっと感動的な感じを出してはみるけれども、いや、話としては流石に分かるけど、その選択に思い入れはないですよ? 特に家族の呪縛は、あるのはわかりますけど、なんかこの人囚われてますよね、くらいにしかまだ思えてませんけど、みたいな気持ちになるんですよね。後、かぐや(ヤチヨ)の過去、彩葉の歌が届いて地球に向かい、事故で8000年前の地球に飛んでしまい、長い間人間としての実体が持てない中、ついに電子世界の中で仮初ではありながらも実体を持ち、覚えていた歌をヤチヨ名義で披露(リリース)し、彩葉に届ける、このループを語る最後の方のシーンだって、キャラに厚みを増せる絶好の機会なのに、なんかそこは省略されて(なんなら、時間の長期経過があることを示すためにいろはが眠たくなっていく描写だけ差し込んで、作品としての核にあんまり触れようともしない姿勢にビビる)、帰りたいんすね、そっすか、頑張ってくださいね、という気持ちにしかさせてこなかったりするんですよね……。最後のシーン以外でも花火大会で月の世界のことを語ったりはしてますけど、口伝ですしね。なんか意地になって説明していないんじゃないか、というか、ごまかしというか、説明放棄の逃げの姿勢を感じるんですよね。
別にキャラの深掘りのために、必要以上にキャラを困難に陥らせたり、キャラを苦悩させたりしようとか、鬱々とした雰囲気があって、初めてキャラの成長が輝く! とか言いたい訳ではなくてですね、でもキャラの成長で感動するためには、思考の過程は必要だし、なんならこの作品はそこを「親の呪縛」「家族の呪縛」くらいまで書いているからこそ、そこにはもう少しきちんと向き合わないとダメだろう、と思うんですよね。
そして、万が一この作品が、その説明を敢えて描かない姿勢で行く「敢えての尖り」を狙った意欲的な作品を狙っていたのだというのであれば、そう納得できるくらい、描かないに値する理由があるくらい、強烈に描いている部分が面白いとか、その部分を余白として見られるくらい他の場所に重厚感のある作品であればいいんでしょうけど、この作品は本物のVtuberでも割と興味のない、売れてきて生活が少しずつ良くなっていくシーンとかは丁寧に描いたりとか、先述の通り本筋は微妙なんですよね。
超かぐや姫! は人々の想いがテーマの中心にある作品のはずなんですけれども、作中の見える範囲ではそこまで想いがあるようには描かれていないことで、視聴者と作品の間に想いの差があるといいますか、なんでこんなに想っているんだろうと、熱についていけない瞬間の多い作品だったように思います。そういった所をもう少し描写していれば、全然面白くなる作品だったのになあ、という気持ちがあり、非常に残念ではあります。恐らくこの作品はパッと見の絵のリッチさや「関係性」のようなものが描かれているので、今後売れていって、この監督は新しい作品も作るんでしょうけど、これを成功体験として似たような作品をまた作られたらたまらないな、と思うような作品でした。願わくばこのような作品は二度と作らないでほしいかも。そう思う作品でした。
インタビュー公開後の追記
というところまで書いてこの記事を下書きに置いておいて2か月くらい。超かぐや姫! の監督インタビュー記事が流れてきました。自分が上に書いた通りもやもやしていた個所に対するアンサーのようなインタビューがいくつか載っていたので、その部分を一部抜粋の上、自分の感想を追記していきたいと思います。
インタビューはこちら
山下監督は絵作りにおいても、「配信前提」で考えていた。
山下:最初から「1度目に見てわからなかったことを2度目に発見する」ことは意識していましたね。でもそれは、20年・30年とメディアに触れた経験から来るものでもあります。視聴者が全てをスッキリと解決できない、余白のようなものを残すことがムーブメントを生み出す要因だと分析していて、あえてそういう部分を作っています。一時停止しないとわからないようなコマを作ってもいますし。
意図的にやってたんだ、説明不足のあたりは。じゃあ「敢えての尖り」で合ってたんだ。それを踏まえてもう一回言うと、じゃあやり方がヘタクソっすよね。
スッキリと解決できていないのは余白が多いからというよりは、スカスカ過ぎて説明を全くしてないよね、というところなので。説明を減らし過ぎて説明不足ですよこの作品は。後、一時停止しないと分からないくらいのコマみたいなチマチマしたところに情報詰め込むんなら、もう少し物語として抑揚がつくように情報を増やして散らした方がいいと思いますし、一時停止前提は、オタクが作ったファンムービーならまだしも、資本を積んで作った映像作品でやることじゃないですよ。流石に映像作品を舐めすぎです。作品を作り始めのオタクがやる、作品に乗っていない細かいマル秘情報だけが豊富なインターネット小説みたいだあ、という気持ちに。
>そして、作品を作る上でも「配信でのオリジナル作品」として認知を高める上で、どのような題材を選ぶべきか、という点で、山下監督には明確な狙いがあった。
山下:僕はやっぱり、アニメオリジナルである以上、動きやアクション要素みたいなもので構成しないと、アニメにする意味がない、と考えました。映像として、どのカットを切り出されても負けない、という戦い方を選びました。それは、映像全体での抑揚で勝負するだけの演出力は自分にはまだない、という考えからの判断でもあります。その代わり、SNSなどでどのカットが切り取られてもいいよう、絵を何度も修正し、わずかな動きでもリッチに見えるよう、徹底的にこだわりました。作品を作っていると、中盤になって力を抜いた「息抜きのカット」が出やすくなるじゃないですか。でも、そういうカットが視聴者にとってはノイズになって、没入感が削がれるのがイヤだな……と思ったので。ですから、全パート全力です。
絵のリッチさの抑揚を気にする前に、話としての抑揚をつけてはどうだろうかとも思いますし、映像としてどのカットを切り出されても負けない戦い、って言ってますけど、アニメ映画はSNSの萌え萌えキャプチャ勝負に勝つために作るものではないですよね。息抜きのカットをノイズととらえてる時点で、あんまりアニメ畑の人ではないのかな、という気持ちと、あくまでSNSで「絵の力」で話題を得るために作った作品なのかな、という気持ちにさえなりますね。
>テーマとして「仮想空間」「配信」的なネット文脈を選んだことも、オリジナル作品を作る上で重要な判断だった。
山下:アイデアはいくつも出てきたんですけど、少年漫画的な作品だと、世界を構築して見せるのに、すごく尺がかかる。90分の中で半分ぐらいを、世界観や組織の説明とかそういうのに割かないといけなくなる可能性が高くなります。そうなると、作品の中で、自分がやりたかったキャラの関係性や人間ドラマの部分が薄くなってしまうだろうな……という風に思っていて。だったら、例えば『サマーウォーズ』のような作品にして、ゲームや仮想空間内のアクションのような形で取り入れればどうだろう、と考えました。これなら前例もあるし、ある程度説明の尺をカットできる。配信者を軸に据えたらゲームもやれるし、アイドルみたいな形でキャラを推していくこともできるよね、という発想です。だから作品としては「仮想空間で行こう」という発想が先にあったんです。
よく聞かれるんですが、VRChatのことは、企画当時は知らなかったんですよね。むしろ、普遍的なネット文化として「ニコニコ動画」であったりとか、ちょっと治安は悪いですけど昔の「2ちゃんねる」とか。世代は変わっても方向性は変わっていない気がして。その中で1つのメディアに肩入れすることなく作ったせいで、結果的に「色々なものに似た」という相乗効果が出たんだろうな……と、思っています。
「世界を構築して見せるのに、すごく尺がかかる。」「自分がやりたかったキャラの関係性や人間ドラマの部分が薄くなってしまうだろうな……」この考えがあったことにビックリしています。全然作品に反映されていないので。やっぱりVRchatとか配信文化は知らなかったんだろうな。作品を作り終わった後にも、世代は変わっても方向性は変わっていない気がする、と言っている時点で、今現在もそんなに解像度高く知ってはいなさそうですし。
尺のことを考えてて、あんなに説明しなくていいつまんないパートをたくさん入れ込んでるんだし。やっぱり、かなり手前のところでインターネットをテーマとして舐めて使ってますよね。
>ただ、「竹取物語×仮想空間」っていう組み合わせだと、色々なプロモーションもしやすい。歌もあるしバトルもあるしeスポーツも絡められるかも……みたいな構造から、プロモーションできる幅の広さをみんなが感じていたと思います。
まあ、これまでのインタビューを見てうっすら感じていたんですが、ここで確信に至ったことがあって、超かぐや姫! は、面白い映画! というよりは、色んなメディア展開を期待して、まずは配信ベースで話題となることを目的としたプロモーションビデオ、みたいな立ち位置なのかもしれませんね。面白い映画とは〜みたいなことを述べるのがそもそも間違いな、そもそも映像として向いている方向が違うのかもしれませんね。そう思うとやや溜飲も下がりますが……。そうだよな、一時停止して何とか見られる情報があるのって、さっきも言いましたけど、ファンメイドのMVと同じだもんな……。面白いが正義の作品じゃないんだろうな……。 と、思いました。
インタビューを読み終えたあたりで、怒り狂っていた気持ちもかなり萎み、ただ一つ残った感情はと言えば、本当に頼むから、これ以上こういう形で出てくる作品が、オタクの中で評価されて、こういう作品が「アニメ映画」だよね〜という風潮がオタクの中ででき始めて、この作品を追った二の矢のような作品が出てくることだけはないようにしてくれ……という祈りに近い気持ちでした。
いいアニメ映画が作られて、その結果いろいろなメディア展開があるのはいいですが、メディア展開ありきで、話題になるためだけに、映画という枠を逸脱したファンムービーが作られるような未来だけは、本当に来ないでほしいな、という気持ちです。
……
最後に感想の締めとして、少しだけ。個人的には、インターネットを取り扱った作品もレッドオーシャンに突入しており、面白い作品を作るなら、より追加の視点が必要になってきているんだと思います。いわゆる、守・離・破でいうと、離の段階に来ているんだと思います。その観点で言えば、超かぐや姫! はまだ守の中にある作品だったように思います。いや、守なのかな……。いろんな意味で実は「離」にはいるのかもしれませんね……。よくない方向への「離」ではありますが。
身近でとっつきやすいように見えて、実はハードルの高い、インターネットを取り扱った作品。今後、そこに挑戦する気概のある作品が見られることを願っています。